歴史順 哲学者と哲学の学派 入門書・解説書リスト

ソクラテス以前の哲学

『ソクラテス以前の哲学者』廣川洋一(講談社学術文庫)

『哲学の原風景 古代ギリシアの知恵とことば』荻野弘之(NHKライブラリー)

『ソフィストとは誰か?』納富信留(ちくま学芸文庫)

ギリシャ哲学

『ソクラテス』田中美知太郎(岩波新書)

『哲学の饗宴 ソクラテス・プラトン・アリストテレス』荻野弘之(NHKライブラリー)

『プラトンの哲学』藤沢令夫(岩波新書)

『哲学者ディオゲネス 世界市民の原像』山川偉也(講談社学術文庫)

『アリストテレス入門』山口義久(ちくま新書)

エピクロス主義(快楽主義)

『エピクロスとストア Century Books 人と思想』堀田彰(清水書院)

前半はエピクロスの生涯と規準学・自然学・倫理学に分けてエピクロスとルクレティウスの快楽主義を解説する。後半はキティオンのゼノンの生涯とゼノンやセネカ、エピクテトスのストア哲学を同様に知識論・自然学・倫理学に分けて解説する。日本では数少ないエピクロスの快楽主義の解説書。

『快楽の哲学 より豊かに生きるために』木原武一(NHKブックス)

エピクロスの快楽主義が一般的に「エピキュリアン」という言葉でイメージされる享楽主義ではなく、「条件つきの快楽」であるということに基づいて、ルクレティウスやロック、ヒューム、ベンサムの快楽説、快楽と幸福と自由の基礎的構造、快楽と欲望の関係について考察する。そして、筆者は「学ぶこと知ることの喜びと発見」の快楽が最高の快楽であり、人の生きる目的であり出発点だと結論づける。

ストア派

『ギリシア・ローマ ストア派の哲人たち セネカ、エピクテトス、マルクス・アウレリウス』國方栄二(中央公論新社)

日本で数少ない本格的で包括的なストア哲学の解説書。キュニコス派やアリストテレス、エピクロス派といったストアのルーツからゼノン、キケロ、セネカ、エピクテトス、マルクス・アウレリウスの諸説を検討し、「ストイックに生きる」とは何か、理性的に生きどのように幸福になるか、というストア哲学の本質を描き出そうとする。

中世哲学

『アウグスティヌス 「心」の哲学者』出村和彦(岩波新書)

『アウグスティヌス <私>のはじまり』富松保文(NHK出版)

『トマス・アクィナス 理性と神秘』山本芳久(岩波新書)

『トマス・アクィナス』稲垣良典(講談社学術文庫)

人文主義(ユマニスム)・モラリスト

『モンテーニュ よく生き、よく死ぬために』保刈瑞穂(講談社学術文庫)

『パスカル』野田又夫(岩波新書)

『パスカル『パンセ』を楽しむ 名句案内40章』山上浩嗣(講談社学術文庫)

デカルト

『デカルト』野田又夫(岩波新書)

『デカルト『方法序説』を読む』谷川多佳子(岩波現代文庫)

『方法序説』ルネ・デカルト(岩波文庫)

デカルトの知的自伝でありデカルト哲学のエッセンスが記述された小さな本です。それには真理へ到達する理性を用いた科学の方法論、道徳の規則、心身二元論の形而上学など様々な重要な内容が多く含まれています。

スピノザ

『スピノザの世界 神あるいは自然』上野修(講談社現代新書)

ライプニッツ

『知の教科書 ライプニッツ』フランクリン・パーキンズ(講談社選書メチエ)

カント

『カント入門』石川文康(ちくま新書)

『カント わたしはなにを望みうるのか:批判哲学』貫成人(青灯社)

カントの政治哲学と平和概念、認識論と理性、倫理と行為論、美学と目的論といったエッセンスが関連づけられながら簡潔に解説されている。

ヘーゲル

『ヘーゲル『精神現象学』入門』長谷川宏(講談社選書メチエ)

『超解読! はじめてのヘーゲル『精神現象学』』竹田青嗣、西研(講談社現代新書)

『精神現象学』の各章を主に弁証法による世界認識の方法の問題としてわかりやすく解説する。

ショーペンハウアー

『ショーペンハウアー 人と思想 77』遠山義孝(清水書院)

キルケゴール

『キルケゴール 人と思想 19』工藤綏夫(清水書院)

功利主義

『功利主義入門 はじめての倫理学』児玉聡(ちくま新書)

マルクス

『マルクス 資本論の哲学』熊野純彦(岩波新書)

ニーチェ

『ニーチェ入門』竹田青嗣(ちくま新書)

『道徳は復讐である ニーチェのルサンチマンの哲学』永井均(河出文庫)

ニーチェの道徳思想、特に奴隷道徳やニヒリズム、ルサンチマンとその思想の意義について論じる。

プラグマティズム(道具主義)

『プラグマティズムの思想』魚津郁夫(ちくま学芸文庫)

『プラグマティズム入門』伊東邦武(ちくま新書)

ベルクソン

『ベルクソン=時間と空間の哲学』中村昇(講談社選書メチエ)

『ベルクソン 人は過去の奴隷なのだろうか』金森修(NHK出版)

「純粋持続」の概念と主体による意思や行為の関係の問題を中心にしたベルクソンの哲学と時間論の入門書。

フロイト・精神分析

『フロイト入門』中山元(筑摩選書)

『フロイト思想のキーワード』小此木啓吾(講談社現代新書)

ユング

『ユング心理学入門 心理療法コレクション1』河合隼雄(岩波現代文庫)

アドラー

『アドラー心理学入門 よりよい人間関係のために』岸見一郎(ベスト新書)

現象学・フッサール

『現象学入門』竹田青嗣(NHKブックス)

『これが現象学だ』谷徹(講談社現代新書)

ハイデッガー

『ハイデガー すべてのものに贈られること:存在論(入門・哲学者シリーズ)』貫成人(青灯社)

ハイデッガーの存在論とそのキー・タームを最もわかりやすく解説しながら、人間の存在の構造、存在意義、存在価値のあり方を教える。

『ハイデガー入門』竹田青嗣(講談社学術文庫)

ハンナ・アーレント

『ハンナ・アレント』川崎修(講談社学術文庫)

ヴィトゲンシュタイン・言語ゲーム論

『ウィトゲンシュタイン入門』永井均(ちくま新書)

『はじめての言語ゲーム』橋爪大三郎(講談社現代新書)

フランクフルト学派

『フランクフルト学派〜ホルクハイマー、アドルノから21世紀の「批判理論」へ』細見和之(中公新書)

『アドルノ 人と思想 148』小牧治(清水書院)

『ハーバーマス(現代思想の冒険者たちSelect)』中岡成文(講談社)

レヴィナス

『レヴィナス入門』熊野純彦(ちくま新書)

メルロ=ポンティ

『メルロ=ポンティ 人と思想 112』村上隆夫(清水書院)

『メルロ=ポンティ 哲学者は詩人でありうるか?』熊野純彦(NHK出版)

実存主義・サルトル

『サルトル 「人間」の思想の可能性』海老坂武(岩波新書)

サルトルの哲学と文学をリアルタイムに経験した世代の筆者によるサルトルの伝記的な思想の解説と友愛、暴力性、ヒューマニティといった現代に問われるべきサルトル哲学の残した課題の紹介。

『新・サルトル講義―未完の思想、実存から倫理へ』沢田直(平凡社新書)

ヴィクトール・フランクル

『<生きる意味>を求めて』ヴィクトール・フランクル(春秋社)

『生きがい喪失の悩み』ヴィクトール・フランクル(講談社学術文庫)

ソシュール言語学・記号学

『記号論への招待』池上嘉彦(岩波新書)

ソシュール〜ロラン・バルトの記号学、パース〜ウンベルト・エーコの記号論の基礎理論を最も簡単に理解出来る良書。

『記号の知/メディアの知 日常生活批判のためのレッスン』石田英敬(東京大学出版会)

ソシュール記号学とパースの記号論の基礎理論を紹介し、絵画や文学、広告、建築、ウェブなどの実例を挙げそれらを分析する記号学/記号論・メディアクリティーク入門書。

『20世紀言語学入門』加賀野井秀一(講談社現代新書)

ソシュール言語学と構造言語学、記号学と構造主義、チョムスキーの生成文法論を中心とした言語学思想の概説書。

構造主義

『はじめての構造主義』橋爪大三郎(講談社現代新書)

構造主義・記号学のバックグラウンドと基礎的思考が楽しく理解出来る。

『ほんとうの構造主義 言語・権力・主体』出口顯(NHKブックス)

『フランス現代思想史 構造主義からデリダ以後へ』岡本裕一朗(中公新書)

『バルト 距離への情熱』渡辺諒(白水社)

『フーコー入門』中山元(ちくま新書)

『生き延びるためのラカン』斎藤環(ちくま学芸文庫)

ポスト構造主義・ポストモダニズム

『こどもたちに語るポストモダン』ジャン=フランソワ・リオタール(ちくま学芸文庫)

『構造と力 記号論を超えて』浅田彰(勁草書房)

『ポスト構造主義<1冊でわかる>シリーズ』キャサリン・ベルジー(岩波書店)

『ドゥルーズ 流動の哲学』宇野邦一(講談社学術文庫)

『デリダ 脱構築と正義』高橋哲哉(講談社学術文庫)

分析哲学・言語哲学・英米現代哲学

『分析哲学講義』青山拓央(ちくま新書)

『言語哲学 入門から中級まで』W.G.ライカン(勁草書房)

『心の哲学入門』金杉武司(勁草書房)

『科学哲学への招待』野家啓一(ちくま学芸文庫)

『科学哲学入門 知の形而上学』中山康雄(勁草書房)

ドナルド ・デビッドソン

『デイヴィドソン 行為と言語の哲学』サイモン・エヴニン(勁草書房)

マルクス・ガブリエル

『マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する』丸山俊一(NHK出版新書)

京都学派

『物語「京都学派」 知識人たちの友情と葛藤』竹田篤司(中公文庫)

『西田幾多郎 生きることと哲学』藤田正勝(岩波新書)

日本の現代思想

『ニッポンの思想』佐々木敦(講談社現代新書)

吉本隆明と蓮實重彦(70年代)からニューアカ(80年代)、宮台真司と大塚英志(90年代)、東浩紀(ゼロ年代)までの日本の思想や論壇を同時代に経験した筆者が時代状況を踏まえながら明確に整理する。

『吉本隆明と柄谷行人』合田正人(PHP新書)

『ポスト・モダンの左旋回』仲正昌樹(作品社)

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責任論・自己責任論・常識論ブックリスト

■『責任はだれにあるのか?』小浜逸夫(PHP新書)

保守派評論家の著者が前半では、少年犯罪やイラク人質問題における「自己責任」という言説への疑問を述べる。後半では、キリスト教やカント、ヘーゲル、フランクルなどの哲学から近代社会における責任概念のルーツとその問題について考察する。

そもそも「自己責任」という概念は、社会的な大人として認められてはじめて成り立つ概念です。いや、大人であっても、完全な意味での自己責任という概念は成り立たないと私は思っています。(p.68)

しかし最近、「自己責任」という概念が成り立つ領域を拡張しようとする風潮がずいぶん目立ちます。これは、個人がバラバラであるという感覚が主流を埋めるようになった時代の産物と思われます。しかし多くの場合、人は相互依存によってことを成していますから、一方的に人に責任を押しつける手立てとしてこの概念を乱用するのは考えものです。(p.105)

■『「責任」ってなに?』大庭健(講談社現代新書)

倫理学者が責任という概念が社会の中で成り立つ根拠について詳細に検討する。

「責任」という概念は、日々の語感からすると奇矯に響くかもしれないが、第一次的には、人の間にかかわる。「責任がある/を負う」というのは、第一次的には、人間関係の特質なのであって、特定の諸個人の属性や態度ではない。(p.23)

■『責任と自由』成田和信(勁草書房)

■『責任という虚構』小坂井敏晶(東京大学出版会)

■『「自己責任」とは何か』桜井哲夫(講談社現代新書)

■『「自己責任論」をのりこえる―連帯と「社会的責任」の哲学』吉崎祥司(学習の友社)

■『いま問いなおす「自己責任論」』イラクから帰国された5人をサポートする会(新曜社)

■『自己責任論の嘘』宇都宮健児(ベスト新書)

■『共通感覚論』中村雄二郎(岩波現代文庫)

一定の社会や文化という意味場の日常経験に立脚したわかりきった自明の知である「常識」と、人間の五感を統合(コモン)した感覚(センス)から敷衍された普遍的に物事を存在させる地平そのものを捉える常識=共通感覚「コモン・センス」の対比と関係から絵画や文学、時間や空間やトポスの束縛を超越する芸術や知について考察する。そして、主体的・主語的統合である「視覚的統合」をパラダイムシフトして基体的・述語的統合である「体性感覚的統合」を捉えることに新たな文化の展望があることを示す。

ここで要求されるのは、なによりも総合的で全体的な把握、それも理論化される以前の総合的な知覚である。その点からいうと<常識>は、現在ではあまりその知覚的側面が顧みられないでいるが、まさに総合的で全体的な感得力(センス)としての側面を持っている。常識とは<コモン・センス>なのであるから。(p.7)

目次

1 共通感覚の再発見/2 視覚の神話を超えて/3 共通感覚と言語/4 記憶・時間・場所(トポス)/終章/注/現代選書版あとがき/現代文庫版あとがき/解説 私事と共通感覚 木村敏/索引

■『「空気」の研究』山本七平(文春文庫)

「空気の研究」では、日本の明晰な論理的判断ではない絶対権威や同調圧力による意思決定方法である「空気」を日本海軍の無謀な大和出撃、公害問題の言説、西南戦争の報道、「空気の支配」を「ないこと」にした福沢諭吉的明治啓蒙主義の誤ち、戦前戦後の天皇観の変化、言葉や言霊を絶対化しないユダヤ教・キリスト教との比較、日本での民主的多数決原理の問題などを取り上げて分析する。

「空気」とは何であろうか。それは非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ「判断の基準」であり、それに抵抗するものを異端として、「抗空気罪」で社会的に葬るほどの力をもつ超能力であることは明らかである。(中略)だが通常この基準は口にされない。それは当然であり、論理の積み重ねで説明することができないから「空気」と呼ばれているのだから。従ってわれわれは常に、論理的判断の基準と、空気的判断の基準という、一種の二重基準(ダブル・スタンダード)のもとに生きているわけである、 (p.22)

“KUKI”とは、プネウマ、ルーア、またはアニマに相当するものといえば、ほぼ理解されるのではないかと思う。(p.56)

(プネウマやアニマの)原意は「風・空気」だが、古代人はこれを息・呼吸・気・精・人のたましい・非物質的存在・精神的対象等の意味にも使った。(中略)“空気”のように人びとを拘束してしまう、目に見えぬ何らかの「力」乃至は「呪縛」いわば「人格的な能力を持って人びとを支配してしまうが、その実体が風のように捉えがたいもの」の意味にも使われている。(p.57)

山本氏が言っている「空気」とは、メディアやオーソリティーが発したありきたりなよき(悪き)言葉やイメージのエクリチュールやディスクールに酔って絶対化し再生産・定着してしまう日本人の習性のあり方。また、日本人に共有された非論理的・非科学的で集合的・集団同調的な精神論・根性論やそれらを基底にしそれらを否定することができない理性やコモン・センスと対立する常識(common knowledge)的感覚や思考だと私は思う。精神論とコモン・ノレッジ、形式的思考、マニュアル的思考、事実、現実、知識や情報、それらがそれぞれ整合性のない調和しないかたち、あるいは間違った結びつき方の接続で物事の思考・判断がなされることが日常生活から国家運営まで日本人の大きな問題の一つであると私は考える。

「「水=通常性」の研究」では、「空気に水を差す」の「水」つまり通常性でさえ、日本では聖書の規範やマルクスの必然とは違った日本的情況倫理であり規範には成りえず、全ては相対的な総情況倫理・一億総情況倫理であり「空気」の支配を打ち破るものでなく、間違った過剰な平等主義を生み出し、「虚構の支配機構」を継続させ、むしろ「自由」の拡大に水を差す、自由や情況を拘束するものとなっていることを言説分析する。

「日本的根本主義について」では、日本のファンダメンタリズムは、一神教の神やドグマの絶対化と対立する、ある権威に対する行き過ぎた平等主義に基づく倫理主義、あるいは「家族的相互主義に基づく自己および自己所属集団の絶対化」だとする。それによって、日本人の言論空間は、様々な通常性と解体された体系的思想が混ざったものになっていて、それが表出する言葉は相矛盾するものが平然と併存されている状態になっていると著者は批判する。

目次

「空気」の研究/「水=通常性」の研究/日本的根本主義について/あとがき/解説 日下公人

■『「常識」の研究』山本七平(文春文庫)

『「空気」の研究』のケーススタディ版という様な内容。日本における「常識」の原理的問題には詳しく述べられてはいない。

■『<子ども>のための哲学』永井均(講談社現代新書)

■『コモン・センス 他三篇』トーマス・ペイン(岩波文庫)

■『方法序説』ルネ・デカルト(岩波文庫)

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日本論・日本人論・日本語論ブックリスト

■『「空気」の研究』山本七平(文春文庫)

「空気の研究」では、日本の明晰な論理的判断ではない絶対権威や同調圧力による意思決定方法である「空気」を日本海軍の無謀な大和出撃、公害問題の言説、西南戦争の報道、「空気の支配」を「ないこと」にした福沢諭吉的明治啓蒙主義の誤ち、戦前戦後の天皇観の変化、言葉や言霊を絶対化しないユダヤ教・キリスト教との比較、日本での民主的多数決原理の問題などを取り上げて分析する。

「空気」とは何であろうか。それは非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ「判断の基準」であり、それに抵抗するものを異端として、「抗空気罪」で社会的に葬るほどの力をもつ超能力であることは明らかである。(中略)だが通常この基準は口にされない。それは当然であり、論理の積み重ねで説明することができないから「空気」と呼ばれているのだから。従ってわれわれは常に、論理的判断の基準と、空気的判断の基準という、一種の二重基準(ダブル・スタンダード)のもとに生きているわけである、 (p.22)

“KUKI”とは、プネウマ、ルーア、またはアニマに相当するものといえば、ほぼ理解されるのではないかと思う。(p.56)

(プネウマやアニマの)原意は「風・空気」だが、古代人はこれを息・呼吸・気・精・人のたましい・非物質的存在・精神的対象等の意味にも使った。(中略)“空気”のように人びとを拘束してしまう、目に見えぬ何らかの「力」乃至は「呪縛」いわば「人格的な能力を持って人びとを支配してしまうが、その実体が風のように捉えがたいもの」の意味にも使われている。(p.57)

山本氏が言っている「空気」とは、メディアやオーソリティーが発したありきたりなよき(悪き)言葉やイメージのエクリチュールやディスクールに酔って絶対化し再生産・定着してしまう日本人の習性のあり方。また、日本人に共有された非論理的・非科学的で集合的・集団同調的な精神論・根性論やそれらを基底にしそれらを否定することができない理性やコモン・センスと対立する常識(common knowledge)的感覚や思考だと私は思う。精神論とコモン・ノレッジ、形式的思考、マニュアル的思考、事実、現実、知識や情報、それらがそれぞれ整合性のない調和しないかたち、あるいは間違った結びつき方の接続で物事の思考・判断がなされることが日常生活から国家運営まで日本人の大きな問題の一つであると私は考える。

「「水=通常性」の研究」では、「空気に水を差す」の「水」つまり通常性でさえ、日本では聖書の規範やマルクスの必然とは違った日本的情況倫理であり規範には成りえず、全ては相対的な総情況倫理・一億総情況倫理であり「空気」の支配を打ち破るものでなく、間違った過剰な平等主義を生み出し、「虚構の支配機構」を継続させ、むしろ「自由」の拡大に水を差す、自由や情況を拘束するものとなっていることを言説分析する。

「日本的根本主義について」では、日本のファンダメンタリズムは、一神教の神やドグマの絶対化と対立する、ある権威に対する行き過ぎた平等主義に基づく倫理主義、あるいは「家族的相互主義に基づく自己および自己所属集団の絶対化」だとする。それによって、日本人の言論空間は、様々な通常性と解体された体系的思想が混ざったものになっていて、それが表出する言葉は相矛盾するものが平然と併存されている状態になっていると著者は批判する。

目次

「空気」の研究/「水=通常性」の研究/日本的根本主義について/あとがき/解説 日下公人

■『「常識」の研究』山本七平(文春文庫)

『「空気」の研究』のケーススタディ版という様な内容。日本における「常識」の原理的問題には詳しく述べられてはいない。

■『日本人の人生観』山本七平(講談社学術文庫)

「日本人の人生観」では、それを日本人の「自然」概念が一つの完成された内的な秩序意識であり、出来事の成果が「作為(する)」のではなく自然に「化為(なる)」のがよいとする「宗教的な意識」から生じるものだとしている。日本人が社会は安定した自然=「完成した秩序」だと考え、「自然に自然に順応する」からこそ様々な体制の変化をスムーズ受け入れてきたと著者は考える。そこでは、体系的イデオロギーは本心では受け入れられず、個人は伝統的思考による「自然」な楽な生き方をしようとする。そして、著者は、社会は自然の様に動かないものなので安定した個人の人生に対して歴史は影響を与えないと考える日本人の歴史意識の問題、内実は変わらない外圧に対する表面な対応の仕方、伝統的思考を重視し「歴史の区切り」を見ようとせず未来を予測できない日本人の思考様式を批判する。

この考え方・見方がどこから出てきたかということは、たいへんむずかしい宗教史的な問題になりますが、一つは、われわれが持っている自然という概念であります。われわれの使う自然という言葉はたいへんに複雑な言葉でありまして、ヨーロッパ人のいう自然という言葉と似たように見えますが、きわめて意味の違う面があります。(中略)これはわれわれが持っている「自然」が一つの内的な秩序の意識であることを示しています。(p.28)

「ごく自然に……」といった返事が返ってくることがありますが、これも「化為(なる)」であって「作為(する)」ではない、そしてこれが最良の状態だという発想でしょう。そしてこの秩序は絶対であってこれが動くことはないという、こういう非常に不思議な信仰をみんな知らず知らずのうちに持っております。(p.29)

「「さまよえる」日本人」は、歴史意識や宗教意識を持たず、目標がなく誰も内発的な目標やスローガンを与えてくれないかたちでただ「さまよって」(「目標を失っても静止し得ない状態」(p.80))いる日本人のあり方を批判する。

「日本人の宗教意識」は、日本人にとって宗教は「家」の問題であり、個人意識が存在せず個人の問題としての宗教が存在しないことによって多くの日本人が無宗教であることを明らかにする。そして、核家族化によって企業が「家の宗教」として「企業神・組織神」となっていること、複数の宗教の思想やメリットを受け入れられること、それらは秩序を自明の「自然的・人間的秩序」として信仰する日本人の宗教意識と合致するものだと述べる。

(日本人の「宗教性」が一神教の見方を基礎とした)「宗教学」の定義にかなう「宗教」かどうか、それは明らかではない。というのは、それは自然信仰・現実是認・集団主義(または家族主義)的信仰心の絶対化と言うべき宗教性と思えるからである。(p.101)

目次

日本人の人生観/「さまよえる」日本人/日本人の宗教意識/文化としての元号考察/あとがき

■『醜い日本の私』中島義道(角川文庫)

ウィーンでの留学・多くの滞在経験のあるカント哲学者の筆者が日本における派手な広告や電線だらけの街の景観、騒音や無意味なアナウンスへの鈍感さ、奴隷的だが一方的で機械的でお節介な過剰サーヴィス、商業施設などでの定型化された表層だけの言葉や振る舞いと深層演技に基づいた自己防衛で固められたコミュニケーション、「形だけ主義」と関係する「善意を期待する主義」とよきことの押しつけといった現代日本文化の問題を筆者の経験と感性を基に解剖し原理的な日本人の美意識や規範様式、思考様式の問題として痛烈に批判する。そういった問題の背景には、どの欲望を規制するかという原理がなく人間の行為を「自然」だとみなす「欲望自然主義」、日本人の「副詞的自然」の思考と醜悪なものを見ないことができる「精神主義」、ハイ・コンテクスト・カルチャーによる「言葉を信じない文化」とその「形だけ主義」、正しさや本意よりも対立を避けることを優先し語りたいことと語るべきことが渾然一体となった「特殊日本的嘘」などがある。そういった日本人の精神構造や美意識が、感性のマイノリティの迷惑切り捨てや、マジョリティの感覚から僅かにズレた他者を差別することになる「共感」をかたち作っている。そして、筆者は自分の感受性を「治さ」ないために戦い続けるが、同じマイノリティのために感受性の「共生」と感受性の多様性の教育の必要性を訴える。

それは、言葉を信じない文化であるから、言葉を駆使して、弁解することを嫌い、言葉を駆使して批判するこのを嫌う。(中略)だがさまざまな意味で報われていない人にとっては、弁解を聞いてくれないのだから、言葉を駆使して説明することを嫌がるのだから、現状に対して不平をもつことを基本的に醜いこととするのだから、批判することを悪とするのだから、じつに過酷な社会である。(p.111 – 112)

目次

ゴミ溜めのような街/欲望自然主義/奴隷的サービス/言葉を信じない文化/醜と不快の哲学/あとがき/解説 松原隆一郎

■『増補改訂 日本の無思想』加藤典洋(平凡社ライブラリー)

政治家の前言撤回から大日本帝国憲法、日本人の宗教観や公共性の考え方などの言説分析を通して、「タテマエとホンネ」という日本人独特の思考様式のウラにある自己欺瞞を暴く。

タテマエとホンネという考え方の底にあるのは、この「どっちだっていいや」というニヒリズムだ、ということなのです。(p.62)

このような相補的、かつ相対的な関係構造の中におかれ、無限に両者が「入れ替わり」可能になり、「ともに真である」というのは、この双方が真じゃない、ということなんですね。それが「真」だと信じられているとしたら、そこには「真」に対するとてつもないニヒリズムがあるのです。(同)

■『無思想の発見』養老孟司(ちくま新書)

「日本人の私たちに哲学や思想なんてない」という認識から出発して、その「無思想の思想」をストロングポイントとしてどう生きていけばいいかを示す。

そういう世間で、ある考え方を主張すると、私が日本人であるかぎり、基本的には無視される。なぜなら、私が日本人だということは世間に属しているということで、世間に属しているということは、「世間という思想」を暗黙に保持するということだからである。その世間の思想とは「思想なんてない」というものだから、私の考えが思想に近ければ近いほど、無視されるという結論になる。世間の思考にいささかなりとも反する思想を持つことは許されないからである。ただし「借り物」なら許される。(p.94)

■『バカざんまい』中川淳一郎(新潮新書)

日本のテレビとネット、それらに影響を受けたリアルに溢れる「バカ現象」を筆者が痛快に切りまくる。

日本で英語は過度な扱いを受けている。「英語ができなくて何が悪い」とキレられたり、英語ができる人が妙に持ち上げられたり。とにかく英語コンプレックスが強すぎるのだ。(p.207)

■『「おもてなし」という残酷社会: 過剰・感情労働とどう向き合うか』榎本博明(平凡社新書)

欧米の「自己中心の文化」とは対立する日本の「間柄の文化」をキーにして、「お客様は神様」だとする過剰な感情労働の問題、社内でのコミュニケーションの過剰な抑圧性を分析し、それらのストレスに対処する方法や習慣を提示する。

一方、「間柄の文化」というのは、一方的な自己主張で人を困らせたり嫌な思いをさせたりしてはいけない、ある事柄を持ち出すか持ち出さないかは相手の気持ちや立場を配慮して判断すべき、とする文化のことである。(p.26 – 27)

■『「やさしさ」過剰社会 人を傷つけてはいけないのか』榎本博明(PHP新書)

■『「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由』汐街コナ、ゆうきゆう(あさ出版)

■『「甘え」の構造 増補普及版』土居健郎(弘文堂)

■『やさしさの精神病理』大平健(岩波新書)

■『菊と刀』ルース・ベネディクト(光文社古典新訳文庫、講談社学術文庫)

■『日本人の意識構造』会田雄次(講談社現代新書)

■『タテ社会の人間関係』中根千枝(講談社現代新書)

■『「日本人論」再考』船曳建夫(講談社学術文庫)

■『日本人と日本文化 対談』司馬遼太郎、ドナルド・キーン(中公文庫)

■『日本人とは何か』加藤周一(講談社学術文庫)

■『社会人の生き方』暉峻淑子(岩波新書)

■『日本文化論の系譜―『武士道』から『「甘え」の構造』』大久保喬樹(中公新書)

■『心でっかちな日本人 集団主義文化という幻想』山岸俊男(ちくま文庫)

■『外国人による日本論の名著―ゴンチャロフからパンゲまで』佐伯彰一、芳賀徹(中公新書)

■『日本人はなぜ無宗教なのか』阿満利麿(ちくま新書)

■『反=日本語論』蓮實重彦(ちくま学芸文庫)

■『増補 日本語が亡びるとき: 英語の世紀の中で』水村美苗(ちくま文庫)

■『英語の感覚・日本語の感覚 <ことばの意味>のしくみ』池上嘉彦(NHKブックス)

■『日本・日本語・日本人』大野晋、鈴木孝夫、森本哲郎(新潮選書)

■『日本語という外国語』荒川洋平(講談社現代新書)

■『日本語教のすすめ』鈴木孝夫(新潮新書)

■『日本語の文法を考える』大野晋(岩波新書)

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