新型コロナ自粛中 読みたい本 読むべき本ブックリスト

『ひきこもれ ひとりの時間をもつということ』吉本隆明(だいわ文庫)

「ひきこもり」という概念が存在する以前から文学好きのひきこもりだったという筆者が、ひきこもりはコミュニケーションから切り離された個人の大切な時間であり悪いことでも良いことでもないこと、自分の思考やスキルを持つために多くの人にとって一定のひきこもる時間が必要であること、ひきこもる場合は自分のビジョンを持って社会を見ることが必要であることを述べる。

家に一人でこもって誰とも顔を合わせずに長い時間を過ごす。まわりからは一見無駄に見えるでしょうが、「分断されたい、ひとまとまりの時間」をもつことが、どんな職業にもかならず必要なのだとぼくは思います。(p.25)

『孤独と不安のレッスン』鴻上尚史(だいわ文庫)

孤独は悪いものでも恥ずかしいものでない、自分との対話である「本物の孤独」は、豊かな時間と成長を与えてくれ、鴻上さんが30人に1人いるという本物の孤独を理解してくれる人と出会うことに導いてくれる。どんなチャンピオンや成功者でも次に負けたり失敗をする可能性はあり「絶対の保証」はなく誰でも不安を無くすことはできない、不安を「前向きな不安」として次の行動やチャレンジのきっかけにすべきだという。劇作家・演出家の鴻上尚史の自身の経験と観察に基づいた人生のアドヴァイス集。

「一人であること」は、苦しみでもなんでもありません。「本当の孤独」を体験した人なら分かりますが、ちゃんと一人でいられれば、その時間は、とても豊かな時間です。(p.21)

「本当の孤独」とは、自分とちゃんと対話することなのです。(p.23)

『幸福について』アルトゥール・ショーペンハウアー(光文社古典新約文庫)、『幸福について 人生論』アルトゥール・ショーペンハウアー(新潮文庫)

『意志と表象としての世界』の思想を一般の読者向けに実践論として著した幸福論・人生論。ペシミズム(厭世主義、最悪主義)によって却って、苦悩と偶然に満ちた世界の中で、人はできる限り苦痛を避け、他者からのイメージや表象=名誉や地位ではなく、第一に本質的に価値あるもの=健康、力、美、気質、徳性、知性とそれを磨くことを含む品格、人柄、個性、人間性、第二に所有物と財産を大切にし、合理的に消極的に快適に安全に生きるべきだとする。

人が直接的に関わり合うのは、みずからが抱く観念や感情や意志活動だけであって、外的な事柄は、そうした観念や感情や意志活動のきっかけをつくることで、その人に影響をおよぼすにすぎないからである。(p.14)

『ラッセル幸福論』バートランド・ラッセル(岩波文庫、角川ソフィア文庫)

理性中心主義あるいは理性万能主義によって人が不幸になったり不幸を感じる原因を分析し、ある場合は消極的にある部分は能動的に、合理的に思考や行動をコントロールすることで不幸や不安を避け、また非合理を解決する方法を説く幸福論。

『人生論』レフ・トルストイ(新潮文庫、岩波文庫)

生命を哲学的にその本質を問うことから始まる生命(life)論としての人生論。動物の生命と人間の生命の理解と対比からトルストイは人間の生が時間と空間に規定されずそれらを超越する集合的歴史的なもので「世界に対する関係」だと考える。人間の理性的意識をよく用いて快楽の欺瞞と死に対する恐怖を退け、愛という人間の唯一の理性的活動によってあらゆる人が他者を愛し他者の幸福のために生きることが真の幸福である。

生命とは、理性の法則に従った動物的個我の活動である。理性とは、人間の動物的個我が幸福のために従わねばならぬ法則である。愛とは、人間の唯一の理性的な活動である。(p.143)

『共通感覚論』中村雄二郎(岩波現代文庫)

一定の社会や文化という意味場の日常経験に立脚したわかりきった自明の知である「常識」と、人間の五感を統合(コモン)した感覚(センス)から敷衍された普遍的に物事を存在させる地平そのものを捉える常識=共通感覚「コモン・センス」の対比と関係から絵画や文学、時間や空間やトポスの束縛を超越する芸術や知について考察する。そして、主体的・主語的統合である「視覚的統合」をパラダイムシフトして基体的・述語的統合である「体性感覚的統合」を捉えることに新たな文化の展望があることを示す。

ここで要求されるのは、なによりも総合的で全体的な把握、それも理論化される以前の総合的な知覚である。その点からいうと<常識>は、現在ではあまりその知覚的側面が顧みられないでいるが、まさに総合的で全体的な感得力(センス)としての側面を持っている。常識とは<コモン・センス>なのであるから。(p.7)

目次

1 共通感覚の再発見/2 視覚の神話を超えて/3 共通感覚と言語/4 記憶・時間・場所(トポス)/終章/注/現代選書版あとがき/現代文庫版あとがき/解説 私事と共通感覚 木村敏/索引

『「空気」の研究』山本七平(文春文庫)

「空気の研究」では、日本の明晰な論理的判断ではない絶対権威や同調圧力による意思決定方法である「空気」を日本海軍の無謀な大和出撃、公害問題の言説、西南戦争の報道、「空気の支配」を「ないこと」にした福沢諭吉的明治啓蒙主義の誤ち、戦前戦後の天皇観の変化、言葉や言霊を絶対化しないユダヤ教・キリスト教との比較、日本での民主的多数決原理の問題などを取り上げて分析する。

「空気」とは何であろうか。それは非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ「判断の基準」であり、それに抵抗するものを異端として、「抗空気罪」で社会的に葬るほどの力をもつ超能力であることは明らかである。(中略)だが通常この基準は口にされない。それは当然であり、論理の積み重ねで説明することができないから「空気」と呼ばれているのだから。従ってわれわれは常に、論理的判断の基準と、空気的判断の基準という、一種の二重基準(ダブル・スタンダード)のもとに生きているわけである、 (p.22)

“KUKI”とは、プネウマ、ルーア、またはアニマに相当するものといえば、ほぼ理解されるのではないかと思う。(p.56)

(プネウマやアニマの)原意は「風・空気」だが、古代人はこれを息・呼吸・気・精・人のたましい・非物質的存在・精神的対象等の意味にも使った。(中略)“空気”のように人びとを拘束してしまう、目に見えぬ何らかの「力」乃至は「呪縛」いわば「人格的な能力を持って人びとを支配してしまうが、その実体が風のように捉えがたいもの」の意味にも使われている。(p.57)

山本氏が言っている「空気」とは、メディアやオーソリティーが発したありきたりなよき(悪き)言葉やイメージのエクリチュールやディスクールに酔って絶対化し再生産・定着してしまう日本人の習性のあり方。また、日本人に共有された非論理的・非科学的で集合的・集団同調的な精神論・根性論やそれらを基底にしそれらを否定することができない理性やコモン・センスと対立する常識(common knowledge)的感覚や思考である。精神論とコモン・ノレッジ、形式的思考、マニュアル的思考、事実、現実、知識や情報、それらがそれぞれ整合性のない調和しないかたち、あるいは間違った結びつき方の接続で物事の思考・判断がなされることが日常生活から国家運営まで日本人の大きな問題の一つである。

「「水=通常性」の研究」では、「空気に水を差す」の「水」つまり通常性でさえ、日本では聖書の規範やマルクスの必然とは違った日本的情況倫理であり規範には成りえず、全ては相対的な総情況倫理・一億総情況倫理であり「空気」の支配を打ち破るものでなく、間違った過剰な平等主義を生み出し、「虚構の支配機構」を継続させ、むしろ「自由」の拡大に水を差す、自由や情況を拘束するものとなっていることを言説分析する。

「日本的根本主義について」では、日本のファンダメンタリズムは、一神教の神やドグマの絶対化と対立する、ある権威に対する行き過ぎた平等主義に基づく倫理主義、あるいは「家族的相互主義に基づく自己および自己所属集団の絶対化」だとする。それによって、日本人の言論空間は、様々な通常性と解体された体系的思想が混ざったものになっていて、それが表出する言葉は相矛盾するものが平然と併存されている状態になっていると著者は批判する。

目次

「空気」の研究/「水=通常性」の研究/日本的根本主義について/あとがき/解説 日下公人

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